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ひらせ歯科クリニック院長の平瀬治郎です。
このページでは私の自己紹介を兼ねまして、ひらせ歯科クリニックを開院するまでの人生を記載いたしました。歯科医という職業を選んだ理由・歯科治療にかける思いも記しました。お読みいただければ幸いです。
子供時代
私、平瀬治郎は1978年(昭和53年)7月25日にここ伊丹市に生まれました。
小さい頃の私は勉強大嫌い、運動大好きな子供でした。
父がラグビー好きだった影響で4歳から伊丹ラグビースクールに入ることになり4歳上の兄と一緒にラグビーに取り組んでいました。
小学校低学年まではラグビーはするのが当たり前と思っていたのですが小学校高学年になると休日に練習や試合があり友達と遊べないのが嫌で辞めたいと思うようになり何度も父に辞めたいと言いましたが厳しい父親だったため「一度やり始めたものを途中で投げ出すのはダメだ、区切りのつく小学校卒業までは頑張れ」と決して許してくれませんでした。
そんな小学生時代に『人間は何の為に生きているのだろうか?』とふと疑問に思ったので(小学生が何でそんな事を考えたのかはわかりませんが〔笑〕)夕食時に家族に聞くと兄や母親は「どうしたん?何かあったん?」と言うだけでしたが父親は「人間は人の為に生きているんや」と言ってくれたのです。子供ながらにすごく納得したことを憶えています。
思春期
小学校卒業と同時にラグビースクールは辞めることを許されました。
中学校に入学し、何の部活に入ろうかと考えていたのですが、この自分の意思で決める事ができるのがすごく嬉しく毎日ワクワクしていました。
当時『スラムダンク』というバスケットボール漫画の影響もありバスケットボール部に入部したのですが、そこで初めて上下関係というものにぶち当たりました。毎日毎日しごかれ、練習後も先輩の身の回りの雑用をするという生活が始まったのです。
一年経った頃には新入部員の約8割は辞めていきました、私も辞めていく同級生を見るたびに辞めたくなりましたが当時一番仲の良かった友人が必死に頑張っている姿を見て負けられないという思いが何とか私の気持ちをつなぎ留めていました。
しかし、ある日突然その友人に「俺、辞めるかも」と言われたのです、その瞬間自分の中で何かが切れていくのを今でも覚えています。何日か後に私は顧問のところに行き退部を申しでていました。
その後、部活を辞めたことが父の耳に入り「お前は自分で決めてやり始めた事も嫌なことがあるとすぐに逃げ出すのか!」とこっぴどく怒られたのです。その後、自分のやりたい事、頑張れる事って何だろうと真剣に考えていた時に当時、兄が大学受験の年で父と同じ歯科医師になると言っているのを聞き、「何で歯医者になるん?」と聞くと兄は「だって人のためになるやろ」と答えたのです。
あの小学生時代に聞いた父の言葉がその瞬間、鮮明に蘇りました。
この時が自分も歯科医師になるのだと決意した瞬間です。
大学時代
無事、歯科大学に入学でき初めて大学に行った時、そこには新入生を自分たちの部活に入れる為の勧誘合戦が繰り広げられていました。
私の所にも色々な部活から勧誘が有りましたが私は最初からラグビー部に入るつもりでした。なぜなら小学生時代に一緒に練習していたラグビースクールの友人や後輩が花園(高校ラグビーの全国大会)に出場し、とても輝いていたからです。彼らは中学、高校とラグビーを継続し努力し続けたのです。
そんな彼らの姿を見て羨ましいと思うと同時にすごく悔しかったのを覚えています。
それに比べて自分は何て中途半端なのだろうと思い、大学6年間何があろうと絶対に辞めないと心に決めていました。
この大学時代の部活生活では色々な事を学ぶ事が出来ました。
4回生では主将を務めることにより
- チーム全体をまとめる難しさ
- 自分に厳しくあり続ける難しさ
- チームで1つの目標に向かう楽しさ
- 目標を成し遂げた時の喜び
- 仲間の大切さ
など様々なことを学びました。
6年間の部活動を通して本当に精神的に鍛えられたと思います。
このように学生時代は部活ばっかりやっていたので勉強のほうはいつもぎりぎりでしたが、無事卒業し国家試験も合格しました。(国家試験の前の一年間は、めちゃくちゃ勉強しましたけどね〔笑〕)
勤務医時代
大学卒業後、兵庫県内の開業医に勤務することになりました。
そこの医院は患者さんの評判も良く毎日たくさんの患者さんが来院されていました。臨床1年目の私は国家試験レベルの知識は有るけれどもそれを実際の臨床と結びつけて手を動かすのが遅く毎日毎日が本当に必死でした。
そんな毎日を積み重ねた臨床5年目、ちょうど自信が付きだした時期に院長から「このセミナー行ってみるか?」と一枚の紙を渡されたのです。そのセミナーは『インプラント100時間講習』と言ってインプラント(歯が無くなった所の骨にチタンを埋め込み歯を作る治療法)について8ヶ月間に渡り勉強するセミナーでした。当時私も院長に手伝ってもらいながら何症例かは行っており興味もあったので行くことにしました。
そこでの講習が私の歯科医師人生を変えたと思います。
講習の中にはインプラントに関する他の治療分野の講習もあるのですがその中の歯周病の講義で講師の先生の言っていることが理解できない、つまり自分の知識が講義のレベルにまったく追いついていなかったのです。
そして講義の最後に講師の先生が「歯周病を治療できない人間がインプラントをするべきではない」とおっしゃったのです。
その講義が終わったあと自分がいかに勉強不足かを痛感し、言われたようにまず歯周病の勉強から始めようと思い歯周病をはじめ歯科治療全般のセミナーを開催している日本トップクラスのスタディーグループの歯周病のコースに申し込みました。
このコースは6ヶ月間歯周病について徹底的に教えてくれるコースでした、そこでの講師の先生が言われた言葉が今の自分の行動指針になっています。その言葉は
「知識無き実践は暴力であり、実践無き知識は無力である」
この言葉を聞いてから私はそのスタディーグループのほとんどのコースを受講し知識を得て実践出来るところから実践していくようにしました。
最初のセミナー受講からの3年間で、その他の様々なセミナーにも参加し、知識を得て実践していきました。そうすることで自分の中の目標が定まり、それを自分のクリニックで成し遂げたいと思い2011年10月に父から医院を引き継ぐことになりました。
私のこれからの目標は
今までに培ってきた知識、技術により患者様一人一人の悩み、不安を全て解消し、歯のことで悩まない人生を送っていただくことです。
これまで私は周りのみなさんに支えられ、助けてもらいながら何とかここまでやってこれたと思っています。これからは周りのみなさんや、ひらせ歯科クリニックに勤めてくれているスタッフ全員を幸せにします。
この目標を達成するためにこれからも努力し続けていきます。
最後まで読んでくださりありがとうございます。